「忘れない」の先へ(赤十字セミナーに参加して)-2 独り言編

Posted by admin on March 20, 2016

ここからは、私の気付きと独り言です。
先に書いたように、被災した方々にとっては、典型的“被災者”というカテゴリーは存在しません。それぞれの体験、環境、悲しみ、怒り、悩み、、、そこから培った強い価値観(どこに重きを置くか)が、一人ひとり異なります。実はとてもダイバースした(異なった強い価値観を持った)“個”の集団という世界が存在するのです。他国では当り前のことなのですが、日本においては特殊な状況が生まれたのかもしれません。同じ集落/街に生活している人、同じ学校に通っている人、同じ会社に勤めている人は、皆同じような経済環境で、同じような家庭に育ち、同じような学校に通い、同じような生活をしてきたのが、これまでの多くの日本人でした。日本には“典型的日本人(typical Japanese)”という言葉が存在します。少なくとも、アメリカや中国には、その言葉は存在しません(以前、アメリカ人に「Typical Americanなんていう言葉は存在しない」と言われたことがあります)。総中流社会とも言われ、モノカルチャーで育った人も、組織も、そこを治める政府も、日本の政策は全てこの“典型”に対応するようにつくられ、皆がその方法論しか経験がないのです。だから、政府からは、多様化という一方で、何となく枠にはめるような一億総活躍社会という言葉が出てきたり、会社ではダイバーシティと唱えるものの、その対策はカテゴリー化の域を越えません。これが、今回の復興政策で通用しなかった壁のひとつだったのではないでしょうか。

では、カテゴリー化するのではなく、個をサポートする政策ができれば(それ自体も簡単ではありませんが)、うまくまわるのでしょうか。ことはそう簡単ではないでしょう。突然、価値観が多様化しても、あくまで今までカテゴリー化された集団で生きてきた個人です。そんなに強くないのです。今回のセミナーで「ひとは寂しいと死ぬのです(孤独死)」という強烈な話も出ていました。アメリカ人は日本人ほど寂しくても死なないか、それは分かりません。一方で、「震災時は、個人が他人に頼るのではなく、自分で判断して行動できないと助からない。その判断力を付ける準備が必要だ。」という話も聞きました。また、今回のワークショップでは、「コミュニティー」や「繋がり」という言葉がとても沢山出てきました。何だか、無茶苦茶難しい話をしているのではないでしょうか?

『個々人がそれぞれの価値観を持ち(即ち、異なった判断軸をしっかりと持ち)、同時に自身の価値観をしっかりと認識した上で、その価値観が他人のそれとは異なることを認識(受容)し、他人の指示ではなく、自己責任で判断し行動がとれること。しかし、それを支えるインフラとしては、同じ水準の情報共有ができるコミュニケーションネットワークがあり、皆が支え合えるコミュニティーの形成が不可欠である。あれっ、これって、災害関係なく、これからの世の中で考えていかなくちゃいけないことじゃないの?』 今回のセミナーに参加して、頭の中がこんな感じにまとまったところで、私の弱い頭はオーバーヒートしました。

ひとつだけはっきりと私なりに理解できたことはあります(多くの方には今更かもしれませんが)。復興も防災もハードの話でもなければ、テクニックの問題でもない。これは、人がどう生き、どう生活するか、「人の生業」の話なんだということは、しっかりと認識できました。

私の“My忘れない”DBに入れておく、本セミナーで、頻繁に出ていたキーワードは、当事者意識、帰属意識、コミュニティー/地域、場、繋がり、コミュニケーション、寛容さ、心の余裕、情報発信/受信/共有、助けられる側と助ける側、、、。

最後に、セミナーを通して、印象に残った言葉を“My忘れない”DBに追記しておきます。

  • はっきりしていることは、F1(福島第一原発)処理は、今、ここにいる皆が生きている間には終わらない、ということ。
  • モノの復興・復旧が進んでも、人間の、心の復興が進まない。弱った心を、強くすることが重要。
  • 孤独死した人の遺書に、“もう一度、避難所に戻りたかった”と書かれていた。
  • 寂しいと、ひとは死ぬんです。」「これは福島の問題ではなく、日本のどこにでもある問題。
  • 福島大の調査では、最大48回転居した人がいます。
  • 災害に強い街というのは、人と人が繋がっている街。
  • 情報災害; それぞれの持っている情報が異なると、議論しても合意ができない。そして、コミュニティーが崩壊する。
  • 別にコミュニケーション能力なくても、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんはコミュニケーションできている
  • 大人の不安や不満は、子供に伝播し、賢い子供は自分で抱え込み、抱えきれなくなる。
  • 避難している子供は、“心”だけでなく、体力、学力、生活体験知、社会性も低下し、“生きる力”が低下している。
  • 先例がないことへの対応は、役所はもちろん、組織は弱い。
  • 生きるためには、自分で“判断”が必要。この判断する力をどう磨くか、身に付けるか。
  • 社会活動に、元々、個人のベネフィットなんかない。しかし、そこに意味があることをどう伝えるか。思ってもらえるか。