DIJフォーラム「原子力発電 – なぜドイツは止めるか、なぜ日本は続けるか」に参加して
12月11日、DIJ(Deutsches Institut für Japanstudien、ドイツ政府研究機関であるドイツ日本研究所)の「Atomenergie - warum hört Deutschland auf, warum macht Japan weiter? 原子力 – なぜドイツは止めるか、なぜ日本は続けるか」に参加してきた。原子力の歴史の専門化であられる、Joachim Radkau教授(ドイツ・ビーレフェルト大学歴史・哲学部教授、邦語訳で『原子力と人間の歴史』も出版されています)と吉岡斉教授(九州大学大学院比較社会文化研究院、政府の委員会等でも18年間委員を務めておられます)の講演と対談の形で進められた。正直、素人の私には内容は難しいところはあった。また、内容が難しい上にドイツ語と日本語での同通がどうも無理があり、分かり難いところも多々あった。が、そんな中でも、私なりに、色々と面白い気付きをもらえた2時間であった。
簡単に私の理解から要約をしておくと、「原発をなぜドイツは止めて、日本は続けるか」という問いに対しての明確な答えは出ていなかった(分からないともおっしゃっていた)。また、どちらが正しいかは将来の結果が判断することで、現在その答えは無い。また、将来にも答えが出るかどうかは分からないという話。ま、その通りでしょう!まず、話の前提として、第二次世界大戦敗戦国である、ドイツと日本は共に核兵器の開発は制限され、共に原子力兵器は持っていない中で、共に原子力発電では先進国になった共通点であり、他国とは異なる歴史背景である。そうそう、ただ、現在の事実としては「ドイツでは30基以上が稼働していて、日本ではつい先日まではゼロだったんだよね!」という笑い話も出ていた!
そんな中からも、私の理解では、お二人の“なぜ”の見解は以下の様なものだったと理解している。まず、ドイツが原発を止めるという判断に至った理由(経緯)としては、①ドイツは元々技術には自負があると同時に慎重な国である。簡単にリスクを取る技術者は2流だという風潮もある。またドイツ独自の技術を追求し、アメリカの技術を入れることはしなかった。②技術者間で反原子力の歴史は古く、ヒトラーに対し原子爆弾開発を思い止まらせた技術者もおり、これがドイツの誇りだという風潮が戦後あり、マスコミもこれにのっていた。③ドイツの電力会社は東電ほど巨大ではなく力もない。結果、目先のビジネスを考え、30年先のビジネス戦略がない。また政府と電力会社のつながりも日本ほど強くはない。④ドイツでは1968年の農民反対運動から原発反対の運動(デモ)は常にあり、反対デモが広域化し、専門家・政治家・宗教家なども巻き込み、反原発コミュニティーが出来上がり、大きな反対運動となっていった。が、日本には福島までこれがなかった。日本でも、昔は反公害活動では同じような動きがあったのに、反原発ではそうならなかった。⑤また、実は、ドイツでは1982年を最後に新しい原発は始動していない。一般的には、経済的理由とされてきたが、実は1982年から原発廃止に動いていたともいえる。
他方、日本の止まらない理由として吉岡先生が挙げておられたのは、①短期的理由は化石燃料よりウラン燃料の方が原料が安い。②長期的には自民党政権がリスクとコストは政府負担を補償してくれているおかげで、電力会社としてはそれに乗るだけという理由。再処理コストも政府が上乗せした電気料金を決めてくれるので何の問題もない。③ドイツと3逆で親原子力コミュニティーが強い。これは経産省がリードした介護コミュニティー。要するに、既得権益者が補助金で介護されている。④もう一つ大きいのは選挙制度。小選挙区制により全国では過半数の反原発者がいても、30%強の得票率で自民党が圧勝して、反原発の声が届かない。⑤日本政府は一度決めたものは覆らない。例えば、大間原発は1985年に建設が決まり、反対運動も強く紆余曲折あり、未だ建設中。30年経っても地道に反対運動つぶしをやり続ける。政府にこれをやられると民間は持たない。
これ以外に、ラートカウ教授は、⑥アメリカでは地震の可能性がある地での原発開発は断念しているが、日本は技術力が高いだけに地震にも耐えうる自信があったのではないか。⑦日本は温暖化対策に強い立場を打ち出しており、化石燃料に反対する立場が強かった。また、日本は他国より癌発症患者が少ないのも関係あるかもとも話されていた(これは知りませんでした)。
基本お二人とも反原発派なのだが、私がお二人の話を聴いていて、原発賛否以上に興味を持ったのは、上にも書いたが、コミュニティーが形成されないという事実。同じように反原発派が声をあげムーブメントが起こりだしても、ドイツではコミュニティーで出来上がりムーブメントが組織化し大きな力になるのに対し、日本ではコミュニティーは形成されず、バラバラのままやがて火が消えていくという事実。逆に賛成派では、政府(経産省)がリードし、戦略的にコミュニティーが作られるという指摘だ。ただ、これは原子力発電所の問題に限ったことではないと思う。先般の安保法案の改正でのデモ。この国では久々の大きなデモであり、海外メディアあらも日本の国民が声を上げたと取り上げられたにも関わらず、もう忘れ去られかけている。ドイツやアメリカ、フランスなどの国では、こうはならないだろう。彼らからすると「あれっ?あれって何だったんだ?」という感じではないだろうか?これが、強いリーダー不在によるものなのか、個々人のリーダーシップの欠如なのか、組織(コミュニティー)化する方法論を持ち合わせていなかったり、コミュニティー化するのに障害が多いのか、或は単に個々の思いがそこまで強くなかったということなのか、、、その辺りを分析し答えを出すだけの情報を私は持ち合わせていない。ただ、私が普段の生活(や仕事)から感じるのは、①思いは持っていても、自分がどうにかしようではなく、誰かがどうにかしてくれるのではないかと期待して、自発的に行動をする人が少ない。そういう意味では、前述の理由だと個々人のリーダーシップが欠如しているのかもしれない。②自分に近い人たちで群れるのは得意だが、異なる立場や異なる組織に属する人たちをネットワークし組織化することが苦手だ。これは、モノカルチャー故のコンピテンシーの欠如で、今回のような場合で、学生、会社員、主婦、政治家、専門研究者、メディアなどの異なる場で同じ考えを持つ人たちを組織化しコミュニティーをつくるノウハウを持ち合わせていないのではないか。
我々の日常を振り返ってみても同じではないか?会社や学校に対して色々不満を口にする。が、自分からその環境を変えるためにどうすれば良いかという思考や行動には結びつかない。現場で戦略の方向性が違っていると感じたり、他の戦術を思いついても、役員や上司の現在の興味の範疇でないと思うと、上に提案をすることはしない。実は半数以上の人が同じことを思っているかもしれないのに、どうせ言ってもダメだろうと諦めていることが多くないか。中々、ボトムアップでプロジェクトが発足して、画期的な変化が起こることはないのではないか。多分、戦後の復興から高度成長期には、日本にもそれがあった。その理由を時代のせいにしているが、本当にそうだろうか。
ラートカウ教授は「日本は環境政策においては世界的先進国である。その日本でなぜ原発が止まらないのか不思議だ。1970年代の日本の反公害運動は素晴らしかったのに」ともおっしゃっていた。何が変わったのか?なぜか?一考の価値がありそうだ。