英語での選抜研修を担当させて頂いて思うこと

Posted by admin on September 22, 2015

最近は英語モノを含めて色々な研修(ワークショップ)を担当させてい頂いている。今年は、English Contextで実施の本社(日本人)選抜研修のファシリテータ兼講師を担当させて頂いている。また、あるところで英語で行う研修の在り方を議論する機会があった。やはり、日本人だけで英語でディスカッションやディベイトを実施するのは難しい。これは、必ずしも参加者の英語力の問題だけではなく、私を含め日本人だけだと、英語を話していても、なかなか英語文化にギアが入らない難しさを感じる。日本を良く知るアメリカ人に日本人だけで英語で研修をすることをどう思うかと聞いたら「バカじゃない」と言われたこともある(バカかどうかは?だが)。

参加者ではなく、私の視点から語ろう。例えば、議論が止まってしまった、或は意見が出ない時、意見がありそうな人、何か話すのではないかと思う人に、私が意見を求めても(個別に指名しても)黙って下を向いていたとしよう(まず他の国の人だと、この状況があり得ない)。私も余りブッシュは出来なくなってしまう。“Come on, you have something to say”って笑って言うことはできる。が、それでも苦笑いされたり、黙って下を向かれてしまうと他の人に委ねるしかない。他の国だと、他の人が私の問いに答えてくれるだろう。が、日本人だけの場では、他の人も他人の話をとることもなければ、皆が下を向いてしまうことがしばしばだ。そこで、私が黙って待っていても誰も口は開かないし、しゃべらない人たちを順番に名指しで促しても、場の空気が悪くなってしまうこともある。(もちろん、それで何人かが発言をしてくれることもある)結局、私が負けて?、ディスカッションになりそうな別の議論に移動することになる。

また、元々の社会的な特徴もある。まず、他人の意見に対して、声を上げて同意することも、反対意見を言うことも少ない。普段からそういう行動はとらないために慣れていない。また、普段から何を何のためにやるかという目的や大きな方向性は上が決めて降りてくるもので、現場でそれに異を唱えることはない(これ自体が問題だろう、という別議論は当然存在する)。また、問題は上司がそれを説明しないことにある。従って、何かの意義や意味“そもそも何のために”というような本質的な議論を普段からしていない。従って、方法論など戦術の議論はできるが、ゴールや戦略を議論することができない。他の国の人たちが本質的な質問を投げかけてきた時に、ポカンとなってしまい、議論にならない。他社で多国籍メンバーの選抜研修も担当している時でも、日本人は自身の経験のある或は自分の仕事(自分の守備範囲)のHow toの議論はできる(できるどころか率先して参加する)が、本質的なWhat forやWhyの議論になると、黙ってしまって議論に参加できない。これは英語力の問題ではない。ビジネスマインドの問題だ。

ここまで書いてきて、前職でグローバル選抜リーダー研修に講師兼アセッサーで参加していた時のことを思い出す。発言の少ない日本人参加者の評価に際して、他国からの講師は「英語力の問題」と評していたが、私は違うと思っていた。元々、本質から入る議論が弱いところに、英語ということで強調されていただけだ。

ということは、英語力の問題ではない(もちろんそれもあるが)のだから、グローバルリーダーは国内でも育てられるということだ!ところが、それを育てるべき上司が同じ課題を抱えているのだから話にならない。やっぱり、多国籍観議論で揉まれて鍛えられた人を外から採ってくるしかないか?昔、スウェーデン人に言われたことがある。Shinya, business language is not English. It is “Business”!