TOKYO2020オリンピックを終えて思うこと

投稿者 aas 日時 2021年8月8日

TOKYO2020の前半、オリンピックが閉幕した。多分、世界からの評価は、この未曾有のコロナ禍でのオリンピックとしては、大成功と絶賛だろう。フランスのマクロン大統領などは既に成功おめでとうとTweetしている。

確かに、この環境下、日本でないと成し遂げられなかったのではとも思うし、これは我々日本人が誇ってよいことだと思う。コロナで一年の延期を余儀なくされ、色々な条件も最後まで決まらない中、我々凡人の想像力ではとても想像しきれない苦労苦悩と努力の結果を競い合った選手の方々。コロナの不安と熱波の中、大会を支えたボランティアの方々。表には出てこないが生活をかけて働いて頂いたであろう医療スタッフの方々、全国から呼び集められた警察や自衛隊の方々、その他の全ての裏方の方々。皆さんには本当に頭が下がる思いだ。ご苦労様、そしてありがとうございました。

しかし、やっぱり、政府関係者には大きな顔で成功だとは言ってほしくない。あなた達の視野の狭さ、視座の低さ、覚悟の無さ、意思決定力の低さ、説明力の低さで、どれだけ選手や大会関係者、全ての国民が不安を持ち続けたか!(これは現在進行形) 1年半前に延期を決定し、明確な目的意識と達成意識を持って戦略を決定し、意思表示と説明、協力要請を真摯にして進めていれば、かなり違った形もあっただろう。結局、いつもの震災時や今回のコロナワクチン接種と同じで、ダメな中央を優秀な国民がどうにか補うという構図は変わらなかった。但し、政府の人達も国民であり、国民が選んだ人たちだということは忘れてはいけないのも事実だろう。

もうひとつ気になったのは、日本の報道のあり方。始まったら盛り上がり一色になるのは決して悪いことではないと思う。が、余りにマイナス面の報道がないのが気になった。確かに各国の選手たちが日本のホスピタリティ“おもてなし”に感動し感謝してくれたのも事実だろう。しかし、不平不満もあっただろうにメジャーメディアからは全く聞こえてこなかった。選手村での数々の問題、この暑さの中でのオープンウォーター競技での水質問題、暑さ対策についても、もう少し報道されても良かったのではないのか。今朝のマラソンでは、中継アナウンサーの「この暑さで30名が棄権した中、日本人選手は頑張って完走しました」というコメントを聴いたときには、“この実況は正しいのだろうか?”と気になった。一方、報道でも多く取り上げられた、多様性やSNS問題については、これが良い方向に向かう議論のキッカケになると良いなとも思った。

私個人はというと、実は今日まで想像もしていなかったのだが、何だか喪失感というかやるせなさが残っている。それは「もう終わっちゃうのか」ではなく、競技場と道一本隔てた所に住んでいながら、東京に住んでいながら、“TOKYO2020”を全く感じることなく終わってしまったことに対してだ。例え、競技場の中に入らなくても、普通は、街で関係者との触れ合いもあり、独特のお祭り感があり、否応なしに盛り上がりの輪に放り込まれ、そこで色々な出会いや気付きがあり、オリンピックは街で感じられるモノではないか。それが全くなかった。前にも書いたが、競技場の隣に住んでいても、塀の向うで何かやっているのは分かるのだが、単に警備が厳しくなり、交通も規制され、まるで我々が邪魔もののよう扱われているだけとしか感じられなかった。頑張った選手たちには何の責任もなく尊敬の念しかないのだが、やっぱり“Athlete First”ではなく、囲いの中で“Athlete Only”の何かが行われていただけ、という思いは否めなかった。

じゃあ、自分は何かアクションをとったのかというと、それも無だった。この後、しばらく時間をおいて、TOKYO2020の後半、パラリンピックが始まる。私にとっては、より身近なパラの2週間をどのように過ごすが、パラリンピック大会で頑張る友人たちやそれを支えてきた友人たち、そして自分のためにもちょっと考えてみたい。

追記:閉会式でスカパラの時、何で選手たちにも自由に参加して踊らせなかったんだ?

火とアウトドアの画像のようです