プロフェッショナルを考える
うちの社員はプロフェッショナルじゃない、とか、プロが育つ人事にしたい、というような話をよく聴く。プロフェッショナル制度という名前の人事制度をみたこともある。(何だかよくわからないが!)
プロフェッショナルとは何なのか、どのような人なのかを考えたことは意外と少ない。例えば?と問うと、有名スポーツ選手の名前がよく上がるが、意外とビジネスパーソンの名前を聞くことはない。
私の敬愛するマイケル・ジョーダンは、プロフェッショナルとは?と聞かれて「どんなコンディション下でも、コンスタントに結果の出せること」と答えたという。イチローは「ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残す、ということ」と答えている。普通のビジネス界に照らして考えると、常に成果を上げていて、周りから一目置かれているできる人にも、ジョーダンの言葉は当てはまる。イチローの言葉はとてもイチローらしいが、我々凡人に落として考えるとちょっとキツイ(笑)。強いて言えば、マイスターとか呼ばれるような人達だろうか。
一方、私は、ちょっと違う視点から、プロフェッショナルを考えることがある。トップアスリートに限らず、歌手や俳優、或いはビジネス界の人でも教育界の人でも、普段はそれほど目立っていなくても、インタビューされているのを聴くと「この人、凄!」と思うことがある。時には感涙に繋がることもある。それは、スキルとか技術という話ではない。自分と正面から向き合い、自分自身を客観的に観察し、客観的に理解した上で、自分の生き方を強い思いで語れる人だ。自分の強み弱みを理解し、自分の価値軸をしっかりと持ち、自分の人生を自身でリードしている、そんな人だ。とても魅力的であると同時に、とてもプロフェッショナルだと思うことがある。ここに書いた言葉をみると、昨今のリーダシップ論とダブる。強いリーダーシップを持った上で、自身の本業に対する思いやそれに向かい合う姿勢について語られるのを聴くと、プロフェッショナルだと思わされる。少なくともスキルや成果ではない。
プロとは、強い信念の下、ある特定の分野で強い自負を持って取り組み続けている、そんな人のことなのではないだろうか。別に見かけがスーパースターである必要はない。
そんな人が、昔の日本企業にはもっといたように思う。