ここ数日のFBを見ていて思うこと ~トリコロールからダイバーシティ

投稿者 aas 日時 2015年11月16日

フランスでのISのテロを見て“とんでもない!ひどい!”とは多くの人が思っているだろう。その横で、日本人がFacebookのプロフィール写真をトリコロール(フランス国旗)化するのがどうなのかという議論が起こっている。十分理解して賛同しているのか?軽すぎるという論調、これはどっかの個人ではなくFacebook自体が始めたキャンペーンなのだが、トリコロール化したZuckerberg氏の笑顔が考えられないという批判、以前にテロのきっかけになった風刺漫画家を再度持ち出してフランスにも非があるという論調(確かに、この風刺漫画家は福島の原発事故時にはとんでもない絵を描いています!)。

私がここで言いたいのは、この論議の中身の話ではない。日本語FBを見ていると、どうも、ちゃんと自身の考えを自己主張している人、客観的に評論している人に対して、異なる意見の人を批判したり、攻撃したり、また、自身が攻撃を受けたと感じて傷ついたりする人がみられることだ。これを見ていて、以前、仕事で欧米の仕事仲間から「日本人はRespectがない」と言われショックを受けたことを思い出した。

モノカルチャーで育った日本人は、自分と違う考えや習慣の人たちを理解することが苦手だ。価値観の異なる人たちと一緒にいることに居心地の悪さを感じたりする。元々、色々な人たち、文化も言葉も、宗教も、経済環境も異なる人たちが混在した、ダイバース環境で育った人たちは違う。身近で言うと正にアメリカ、特にNYなど大都市がそうだろう。人は皆異なるという入り口から人間関係が始まる。他人は違う考えや価値観を持つのが当り前で、それはそれとして受け入れる(理解する)。これができない日本人は“リスペクトがない”と言われてしまう。他人の意見や価値観に賛同するかどうかは次のステップで、別問題。

ダイバースした国では当り前のことが、モノカルチャーで育った日本人には難しい。今回の話も、それぞれが色々な意見や考えを主張し、それを“なるほど、そういう考えもあるんだ”と思って一旦受け止め、その上で自身はどう思うのかを考えれば良い話だ。相手の意見を受け入れる必要もなければ、自分の意見を相手に強要する必要もない。その上で、議論はOK。これがダイバーシティ&インクルージョンの第一歩。もちろん、政治活動として多数派工作をする場合は別だが。

因みに、私は、フランス人の友人やパリに住んでいる友人もいるし、彼らは東日本大震災の時に”Pray for Japan”を掲げてくれたし(相手のある今回とは状況は違いけど)、端的にテロには反対だという意思表示も含め、短期間(3日間と決めています)のトリコロール化を選択しています。

あっ、もちろん、このブログも私の独り言で、何も強要するもではありません。(笑)