朝ドラ「ひよっこ」と「働き方改革」
このブログを読んでいただける方で、「ひよっこ」を見ている人は少ないでしょうね。私は朝時間があり見れるときは見ているのですが、高度成長期の集団就職が一つの舞台です。(まず、これが私の幼少の頃の話だと再認識してショックでした(笑))主人公、“金の卵”みね子が、最初に勤めたラヂオ組立工場とその社員寮、次に勤めるレストランで、仕事のみならず、生活の仕方や態度までを教える企業指導。どこでどう働くかに自分の選択があるわけではなく、どう働かせるかはもちろん、どれだけ立派な人に育てるかまでを雇用者が担っていた時代。これは、この時代にとっては、凄い、素晴らしい仕組だったと改めて感心しますし、今の日本を作り上げた基盤なのだろうと、改めて再認識します。
さて、ところで、「働き方改革」って、本当に何なのでしょうか?「残業を減らすこと、ではないですよね?」「何だか世の中の議論がグチャグチャになっていません?」という声は良く耳にします。「いやいや、国会でやっているのは『働き方改革』ではなく、『働かせ方改革』でしょう」という声も耳にします。が、それに対して、私ば、いやいや、そうだよ!当り前でしょう!っていう意見です。
『働き方改革』というのは、個の問題で、個が自身の価値観に基づいて、「どう働くか」を考えることで、政府の議論は、国民が働きやすいようにどうするかという、枠を広げるか狭めるかというルールつくりの議論ですから、ある意味『働かせ方改革』ですよね。 でも、皆、色々愚痴は言うけれど、結局、自分が働かないで、働かされている人が多いのではないでしょうか?
自身の価値観や価値軸を自身で改めて見つめ直し、自身で判断して、その上で自分にあった働き方や働き方にあった会社を選ぶのが『働き方改革』。当然、そこでは、仕事の内容や報酬、ポジション、労働時間などのトレードオフやバランスで悩み考えるというプロセスが発生します。その上で、自分で判断する。ここで自立・自律や自己責任感が生まれる。 そして、その選択肢(多様な働き方)を用意したり、どんな人が欲しいのかを明確にしてルールや制度を打ち出すのが企業の担う働き方改革の場創りとしての『働かせ方改革』。当然、企業は従業員の立場とビジネス成果の視点の両方から考える必要があります。 そして、従業員よりも強い立場の企業が無茶をしないように歯止めとなる最低限のルールを定めるのが法律であり、この法制度整備が政府主導の『働かせ方改革』でしょう。ま、最近は、企業が情けないから、動かないから、政府が主導するみたいな風潮もありますが、、、。
正に、現在ホットな、36協定の定める残業上限を100時間未満にするかという政府の議論がそれ。ところがこの議論を見て「100時間って、週に25時間、一日5時間ですよ!どんでもない!」という会社人事の方がおられたが、私に言わせれば、そういう発想の出る会社がとんでもない。政府の議論しているのは、最低最悪ラインをどこに設定するかという話であり、最低賃金をいくらにするかという議論と同じ。大企業が社内で、最低賃金を守るかどうかの議論ってしないでしょう?それと同じ話で、会社で100時間が高いかどうかという議論をしているとすると、それ自体が問題。法定時間など関係なく、会社で残業上限20時間とか設定して徹底するのが企業の目指す姿でしょう。
しかし、どうもことはそう単純ではないようです。先日、ある大学の先生に聞いた話です。大学生たちが「どうやって、過重労働や長時間残業をなくすか」という話し合いをしたら、その結論は「会社が絶対退社時間を決めて、その時間になったら全ての電源を切ること」だったそうです。彼らは、彼らなりに色々議論をした結果、「帰らざるをえない状況が作られ、上から帰れと言われないと自分からは帰れない」というのがその理由だったそうです。会社勤め経験がなく、アルバイト経験しかない学生がです!どうしたもんでしょう?!
また、ある会社では、一旦タイムカードを押して帰宅した形を作ってから、また職場に戻ってサービス残業している社員が多数いるのをどうするか、というのが問題視され議論されています。このような会社で、入退出カードやPCのログオンオフで管理し、厳しく指導するのが、本当に正解なのでしょうか?確かに法令厳守は前提です。しかし、こんなことを繰り返していて、“良い会社”や“強い会社”になれるのでしょうか?どっか腑に落ちないですよね。日本人の良さ、美徳、そして強さを否定するつもりはありませんし、日本人なりの勝ちバターンを考えることには私も惹かれます。ただ、Global、VUCA、Speed、Diversityの時代。明らかに、世の中の環境は変わっています。「ひよっこ」を観ながら思います。実は、日本企業の人事は、集団就職時代の従業員管理(正に管理)と、本質は何も変わっていないのではないでしょうか?