働き方改革 ~あらためてこれって何?~

投稿者 aas 日時 2019年3月9日

き方改革という言葉が出てきて3年。何が変わったか?

ひとつは、あきからかに残業が減っているようだ。もちろん、まだまだ表に出ないサービス残業の多いグレー企業は多いし、何より人手不足(本当はある一定の業界だけと思うが)で結局は管理職の労働時間が増えている側面もあるだろう。しかし、それでもやはり残業時間は減っているし、働く人々の意識は少しづつ変わってきているように思われる。

しかし、時間を減らすことが目的化し、残業しないことが美化され、肝心の生産性向上や自己責任意識を持った働き方などの真の“働き方改革”には至っていないのではないだろうか。これは本末転倒で、企業力、ひいては国力を落とすことになる。

そんな中、昨秋、「働き方改革法」が制定され、今春から施行される。(下図)  これを見ると、残業時間の上限規制、5日間の有給休暇強制取得、勤務時間インターバルは、従業員の健康を守ると同時に、今までと同じアウトプットを出したければ、生産性を上げるか人を増やす人しかないですよ!という企業へのプレッシャと読める。正直、私に言わせれば“全く余計なお世話法”であり、多様性を受け入れようというD&Iの議論にも水を差す悪法だと思っている。が、要するに、政府からお膳立てをしてもらわないと動かない企業へのプレッシャと理解すべきだろう。そして後半の、同一労働同一賃金適用や高度プロフェッショナル制度創設は、いつまでも年功的な扱いしてないで、ちゃんと職務職責を見て人事運営をしろ!と、これも本来雇用主と被雇用者間の市場原理で決まってくるべきものを、国が箱を作らないと変わらないこの国の非資本主義的人事がなせる業だろう。

 

ここからが本題だが、改めて“働き方改革”とはいったい何だろう?本来目指すべき方向性を皆が見失っていないか? 今の日本(政府と企業共)のやっていることは「“働き方改革”ではなく、“働かせ方改革”だ!」という人がいるが、その通りだろう。というか、当たり前のことだ。“働き方”という言葉を使う場合、本来、主語は常に“私”であるはずであり、政府や企業が作る法律や制度は、どこまでいっても“働かせ方”なのだ。個人個人が自己を見つめなおし、どのような働き方をしたいのか、どのように働けば自分も会社もハッピーになるのか、自分の人生において働くとはどういう意味を持つのか、人生100年時代にどのような人生を送りたいのか、ということを突き詰めて考え、そこから答えが出てくる。それをどう企業が支え、ビジネス成果や生産性向上につなげていくのか。それが、本来目指すべき“働き方改革”ではないのか。

企業研修などで話を聴いていても、若者は「働き方改革の時代、定時になったら帰ることが良いことだ。定時に帰れる会社が良い会社だ」と言い、管理職は部下の残業を減らすことが目的化し、挙句の果てには「部下の残業はちゃんと減らすから、人を増やして欲しい」と簡単に口にする。それでグローバル競争に勝って収益が上がるのか?本当にそれが良い会社なのか?「仕事が楽しくて楽しくて仕方がない!いつまでも仕事していたいけど、家で子供と遊ぶのも大事だから、、、よし、8時までと思っていたけど、どうにか工夫して6時までに終わらせて帰るぞ!」というのはダメなのか?どうも、本来の目指す姿を見失っている、描けていない。

意識を「働き方改革」から「働き甲斐改革」に変えていく必要がある。

「働き方改革」は“働きやすい職場”を整える活動であり、その視点から、現在の法制度改正や企業の制度改革は間違っていない。ただ、“働きやすい職場”への改革は、どこまでいってもインフラ整備であり“守り”の政策だ。その内容には、時間管理/残業削減、フレックス制度や裁量労働制、サテライトオフィスやフリーアドレス、有給休暇取得推進、育児休暇や介護休暇、その他福利厚生の充実等々がある。これらの制度整備は、働きやすい職場環境を整えるインフラ整備であり、それ自体は重要だが、同時に社員を受け身(会社がやってくれる、育ててくれるという)意識にしてしまうことも避けられない。打ち出し方を間違えると、他責ややらされ感の醸成に繋がりかねない。

例えば、会社が働き方改革の一環で社員に「どういう働き方がしたいですか」というアンケートを取ったとする。社員は「自由な時間に働ける」「自由な場所で働ける」「子供の近くで働ける」等々、色々な要望が出てくるだろう。これは、会社が聞いてきたら、やってくれると言っているから要望を出しているのであり、自己責任の下で自分の責任でやらせてください、という意識からの要望ではない。これらの施策を達成できると、社員は喜ぶだろうが、それが必ずしも自律し生産性高く働く社員の醸成に繋がるわけではない。

では、一方で「働き甲斐改革」はどうだろうか。こちらは“働き甲斐のある職場”をどう創り上げるかということを目的と考える、“攻め”の政策だ。時間は管理するのではなく自由にする。休みも自由。自由というのは勝手ということではなく、制度で決めるのは大枠だけで、後は自己責任に任せて、責任を果たしていれば自由に働けるようにするということだ。責任権限は明確だが、人間関係は対等で、上司部下のコミュニケーションが活性化し風通しが良い職場。結果、心理的安全性(サイコロジカルセイフティー)が確保され、職場や上司がセキュアベースとなり、言いたいことが言え、思い切ったチャレンジができる。結果、社員はモチベーション高く、自律し主体性を持ち、育ててもらう意識ではなく自分で育つ意識を持つ。そんな職場を創っていくことが「働き甲斐改革」だ。

会社の社員への質問も「どういう働き方がしたいですか」ではなく、「何が働き甲斐に繋がりますか」であるべき。そして、その結果出てくるであろう答え、やりがいのある仕事、責任と権限の委譲、素敵な仲間との仕事、心理的安全性、チャレンジングな仕事、等々の実現を目指すのが「働き甲斐改革」になる。

「働き甲斐改革」は法律や制度の改革では達成できない。これはマネジメント改革だ。要するに、マネジャーが変わらなければ変わらない。マネジャーが現場のリーダーとして、如何に働き甲斐のある職場を創れるかだ。言い換えれば、マネジャーが変われば変わるのだから、これには、組合交渉も必要ないし、コンサルタントを雇う費用も掛からない。しかし、マネジャーひとりひとりの意識と行動が変わらなければ、変わらない。現場のマネジャーが組織のあり方そのものを変えるのが「働き甲斐改革」だ。

 

今一度、原点に戻って考えてみよう。安倍政権で働き方改革という言葉が出てきた時にも、働き甲斐という言葉は聞かれていた。ところが、電通事件により、一気に流れが規制管理する方に寄ってしまったのかもしれない。ただ、もちろん、インフラの整備は大切で、その意味では、かなりインフラも整いつつあるのではないだろうか。そろそろ、政府任せではなく、企業が「働き甲斐改革」を考えるタイミングに来ているように思う。「働き方改革」でやっていることはインフラと述べたが、これは、労働時間が長い、通勤時間が長く疲れる、休暇が取れない、という社員が持っている不平不満を解消するための衛星要因対策でしかない。「働き甲斐改革」は仕事そのものへの遣り甲斐を引き出し、自発的にチャレンジするような風土を引き出す、動機付け要因(モチベーター)対策である。ようするに、社員が自立自律し、モチベーション高く、ワクワクしながら、イキイキ働く。そんな会社をどうやって作っていくかを、そろそろ真剣に考えても良いのではないだろうか。

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